Association for Flower Essence Therapy

フラワーエッセンスを学ぶ人にとっての植物観察

AFET(アフェット)のスタッフ4名で、フラワーエッセンスを学ぶ人にとっての植物観察について自由に話しあってみました。

パート1「なんでフラワーエッセンスで植物観察?」14分20秒

・手にしたエッセンスと植物はつながってる?
・最初はつながってなくていいんじゃない
・沼ハマ?!
・フラワーエッセンスの沼にはまってる人は植物につながっていくのでは
・一般的には植物観察は敷居が高い
・植物や植物療法からフラワーエッセンスにつながっていく人もいる
・植物観察には時間もエネルギーも要る
・何度も見たことのある花の知らないところを発見するのは楽しい
・人が発見しているのを観るのも楽しい
・グループで観察会をやると視点の違いに、えーっそんなふうに感じるんだとびっくりする
・花を好きな人たちが観察会で花を見ると、みんなの感情が動くのがわかる
・沼にはまっていると自分でわからなくなる

パート2「花に歩み寄る」22分54秒

・植物観察は植物だけじゃなく、花に来る虫や鳥も楽しい観察ポイント
・花を夢中になって見ている人を見るのも楽しい
・「花と一つになる」
・スケッチをしていると時間の感覚が違う
・日常生活の時間の流れでは経験することのない、違うモードになって、自分から花の方へ歩み寄って時間を一緒に過ごすのは楽しい
・観察のモードを体験した後で、道端で花に出会うと、以前とは違う自分と花との関係に気づく
・花や葉の幾何学的な形を含んでいて法則性をもって変化しているのを知ったときスゲーびっくりした
・植物観察はこちらから植物に歩み寄る
・自分から何かに歩み寄るって、しかも生きてるものに歩み寄るって、日常ではないんじゃないかなあ
・花に歩み寄るように、人に歩み寄ることってなかったなあ
・人間は互いに先入観やこうあるべきといった自分の内面のイメージを投げかけて関係を結んでいるけれども、植物にはそれがない
・自分の側の先入観を取り払うことができれば、目の前の花に出会うことができる
・植物観察のときのあり方は、人に寄り添う時に必要なモードと同じ
・ゲーテ=シュタイナー的な植物観察は、シュタイナー教育を実践する教師や芸術療法家の必須の教育プログラムになっているらしい
※ゲーテの対象的思考:自分の世界を出て対象が自ら語る言葉に耳を傾ける
・自分の理解の枠の中に相手をはめ込んで相手をみない

・フラワーエッセンスを学ぶ人にとっての植物観察は?
・私にとっての原点はFES、作り手の二人はとてつもない情熱をもっていて、シュタイナー的なものに収まりきっていない
・フラワーエッセンスと植物に対する情熱に動かされる
・フラワーエッセンスや植物にこれほどの情熱を傾ける人間がこの世界に存在するという希望
・『フラワーエッセンス・レパートリー』が書かれたのは20年以上前、それは本当にすごい
・情熱が人を動かす?
・さかなクンを見て魚好きになった子どもたちがたくさんいる
・花と人間て生きてる時間が違うって感じる
・植物は動いているように見えないから物として見てしまいがちだけど、物凄く美しく動いている
・「沼」語になっていく
・「沼」にはまっている人は沼語を使いつつ、情熱を伝えていく
・「沼語」を翻訳する作業
・FESの凄いところは翻訳作業をちゃんとやっているところ
・沼の代表がFES?!
・形にする
・形にする場にいて、形にするところを見せてもらうことは本当に貴重な経験
・丹羽先生のワークショップでグループの発表をみるのが面白かった
・創造性
・花の世界に入って感じていることって人間なんだけど人間じゃない部分、言葉でない部分で触れ合っている
・植物から受け取ったものを、もう一度表現することに意味がある
・表現できると自分の中にその花の居場所ができるのか、その花の中に自分の居場所ができるのかわからないけど、知り合いになれた感覚がエネルギー的に残るだけじゃなく、言語としても残る
・植物と話をしたいって思う人は植物観察に限る

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